52P【ワイルドバンチ】 |
 PAGE |
 SIZE |
 ポジ |
 国籍 |
 ゲーム登場名 |
 モデル選手名 |
52 |
大 |
DMF |
アイルランド |
パグラー |
ポール・マグラー |
大 |
FW |
北アイルランド |
ホワイトナイト |
ホワイトサイド |
大 |
OMF |
イングランド |
ロブセン |
ブライアン・ロブソン |
53P【テリブル】 |
53 |
小 |
OMF |
フランス |
カンター |
エリック・カントナ |
小 |
FW |
イタリア |
マンティリ |
マンチーニ |
小 |
OMF |
イングランド |
ガッシュ |
ガスコイン |
小 |
OMF |
ドイツ |
シェスター |
ベルント・シュスター |
54P【バスビーベイブス】〜ミュンヘンの悲劇〜 |
54 |
小 |
CDF |
イングランド |
ビャルン |
ロジャー・バーン |
小 |
SMF |
イングランド |
エドガー |
ダンカン・エドワーズ |
小 |
FW |
イングランド |
テイマー |
トミー・テーラー |
小 |
DMF |
フランス |
M・ジャーンズ |
マーク・ジョーンズ |
小 |
SMF |
イングランド |
エールマン |
エディ・コールマン |
小 |
FW |
イングランド |
ウィーナン |
リアム・ウィーラン |
小 |
WG |
イングランド |
ディッグ |
デヴィッド・ペッグ |
小 |
CDF |
イングランド |
ジェント |
ジェフ・ベント |
■備考・このページに載る選手について |
ここに載っている選手は、全員1950年代のマンチェスター・ユナイテッドの中心選手たちです。
1958年2月6日、欧州チャンピオンズカップ(当時)、対レッドスター・ベオグラード戦を終え準決勝進出を決定させた帰り道、給油の為に寄ったミュンヘン空港で起きた飛行機事故により、このリストに掲載された8人を含む20人以上の方が帰らぬ人となりました。(ミュンヘンの悲劇)
この事故の数少ない生存者が当時チームの監督であったマット・バスビーと若干20才だった後の「サー」ボビー・チャールトンでした。残された彼らは必死にチームを建て直し、この事故の10年後、遂に念願の欧州チャンピオンズカップを制する事になります。 |
55P【ラ・マキナ】 |
55 |
小 |
FW |
アルゼンチン |
メニャス |
ムニョス |
小 |
FW |
アルゼンチン |
モレナ |
モレノ |
小 |
FW |
アルゼンチン |
ペネルベラ |
ペデルネラ |
小 |
FW |
アルゼンチン |
ラグナーラ |
ラブルーナ |
小 |
FW |
アルゼンチン |
コウスロウ |
ロウストウ |
■備考・このページに載る選手について |
1940年代のリバープレートは、フィールドプレイヤーが変幻自在にポジションチェンジをするという当時画期的な特色を持ったチームでした。中でも特にムニョス、モレノ、ペデルネラ、ラブルーナ、ロウストウのFWラインは別名「ラ・マキナ(機械)」と呼ばれて語り継がれています(ただ、5人全員が揃っての試合はたった18試合だけでした)
その後一時的に、このラ・マキナにはディ・ステファノも加わっています。現在でもアルゼンチンでは攻撃的なチームに対して畏敬の念を込めてこの「ラ・マキナ」が使われます。 |
56P【マジック・マジャール】 |
56 |
小 |
WG |
ハンガリー |
ブガイ |
ラズロ・ブダイ |
小 |
FW |
ハンガリー |
コシテュ |
コチシュ |
小 |
OMF |
ハンガリー |
ヒゼブチ |
ナンドール・ヒデグチ |
小 |
FW |
ハンガリー |
プストス |
プスカシュ |
小 |
WG |
ハンガリー |
ティゴール |
チボール |
■備考・このページに載る選手について |
マジック・マジャールというのは「魔法のハンガリー人」という意味で1950年代に無敵を誇った伝説のチーム。
ブダイ(右ウイング)、コチシュ(右インナー)、ヒデグチ(センターフォワード)、プスカシュ(左インナー)、チボール(左ウイング)など、一流選手が集まったまさにドリームチームであった。
1950年6月のポーランド戦に始まり、イングランドをアウェーの聖地・ウエンブリーで大差で撃破しホームでのリベンジマッチでも大差で返り討ちにするなど4年間無敗、破竹の連勝街道を突き進んだ。しかし1954年・スイスワールドカップ決勝という大一番で西ドイツに3−2で敗れて連勝はストップした。
そして、1956年のハンガリー動乱によりこのチームはバラバラになってしまう。マジック・マジャールは、まさしく魔法が解けるかの如く一瞬で消えてなくなってしまったのだ。 |
57P【フランス四銃士】その6〜マジック・フォア〜 |
57 |
小 |
OMF |
フランス |
ミシェル |
プラティニ |
小 |
DMF |
フランス |
ジュリアス |
ジレス |
小 |
SMF |
フランス |
デュキャナン |
ジャン・ティガナ |
小 |
OMF |
フランス |
ルイーズ |
フェルナンデス |
■備考・このページに載る選手について |
84年、地元で開催された欧州選手権で優勝を飾ったフランス代表の誇る中盤の4人。中でも「将軍」プラティニの存在感は格別で、この欧州選手権で2試合連続ハットトリックを含む5試合で9得点。得点王、MVPを獲得。更にこの年を含み3年連続でバロンドールを受賞している
しかしW杯には残念ながらあと一歩届かなかった。「フランスにはプラティニが居た。しかしパオロ・ロッシは居なかった」エースストライカー不在がここ一番で響いてしまったのだった。 |
58P【黄金の4人】〜クアトロ・オーメン・ジ・オーロ〜 |
58 |
小 |
OMF |
ブラジル |
ジード |
ジーコ |
小 |
OMF |
ブラジル |
ソクラウス |
ソクラテス |
小 |
DMF |
ブラジル |
ファルク |
ファルカン |
小 |
DMF |
ブラジル |
セレゾン |
トニーニョ・セレーゾ |
■備考・このページに載る選手について |
「クアトロ・オーメン・ジ・オーロ」とは日本語で「黄金の4人」の意味。
82年スペインW杯で、テレ・サンターナ監督率いるブラジル代表の中盤に君臨した4人。「白いペレ」と呼ばれたジーコを中心に「ドクトル(医者)」ソクラテス、「ローマの鷹」ファルカン、そしてトニーニョ・セレーゾで構成され、前評判に違わぬ美しく攻撃的なサッカーを披露し、圧倒的な強さで勝ち進んだ。
しかし2次リーグの対イタリア戦、突如として目覚めた「神の子」パオロ・ロッシのハットトリックの前に沈んだ。
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59P【ザ・ブラザーズ】 |
59 |
大 |
FW |
イングランド |
チャールズ |
ボビー・チャールトン |
大 |
CDF |
イングランド |
ジャック |
ジャッキー・チャールトン |
■備考・このページに載る選手について |
サッカー界が誇る最強の兄弟。兄・ジャッキーはDFとして、弟・ボビーはFWとして、母国のW杯初制覇に貢献。
特に弟ボビーはミュンヘンの悲劇を乗り越えチャンピオンズカップを制覇、66年にバロンドールを受賞するなど、輝かしい成績を残した。なお、ボビーは愛称で本名は「ロバート・チャールトン」である。 |